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Ontology of Holes

設計年 : 2017年
所在地 : 山本現代、東京
機能 : インスタレーション
デザインチーム : 平野利樹

建築からは「けったいさ」が失われてしまった。 パラメーターとそれへの一連の操作が生み出す関係性、または集められた住民の要望の総和によって建築は成立しているとされた。建築と周辺環境との連続的な関係性を偏重する傾向も生まれた。建築はランドスケープと一体化、限りなく透明化された存在であるとされた。 一方、哲学者グレアム・ハーマンの思想にならえば、建築というオブジェクトもまた他からは切断され、それが持つ質や関係性の列挙に還元されない自律的なものである。建築もまたその本質はミステリアスであり、汲み尽くすことの出来ない何かである。 別の仕方でけったいなものへ回帰したい。どうやって?

(哲学は)存在するものにフロックコートを、 数学的なフロックコートを与えることが重要なのだ。 それに対して、世界はなにものにも似ていず不定形にほかならない、と断言することは、 世界はなにか蜘蛛や唾のようなものなのだ、と言うことになるのである。 ジョルジュ・バタイユ、江澤健一郎(訳)『ドキュマン』河出文庫、2014 年、p.144。

エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える。 ジョルジュ・バタイユ、酒井健(訳)『エロティシズム』河出文庫、2004 年、p.16。

哲学者ジョルジュ・バタイユの思想が一つの糸口であると思われる。この中で、我々は互いに孤立したものであり、個々の間には深い断絶がある。そしてエロティシズムとは、不連続なものが連続性に漸近する(しかし完全な連続性には至らない)ことである。半自律的、不定形な状態に移行することである。バラバラでもなく完全なる連続性へ消失するわけでもなく、半自律的なものとして溶け合う。汲み尽くすことの出来ない不気味さが生まれる。 バタイユが魅了された写真家ボワッファールの口、中国の百刻み刑の写真の中の受刑者の傷口は、ともに「穴」の可能性を示している。これらの穴は、空気や食べ物を通す口や血液が流れ出す傷口という具合に、機能の列挙には還元できない。穴の奥底には、完全な空虚ではなく何か明確な輪郭を持ったものでもない、不定形な何かが蠢いている。それは決して汲み尽くされず、他のものを魅惑するものである。

《Ontology of holes》は、建築における、通気、採光、通行などの機能に還元されえない、汲み尽くされることのない穴たちの存在論の追求である。
建築空間で、コーナーはその空間を限定し規定する指標として機能している。例えば我々は一つのコーナーからの距離や角度を計測することで部屋が持つ特定のサイズや形を把握する。空間を単一の価値へと還元するコーナーに、還元不可能で汲み尽くされることのない無数の穴たちが介入する。
穴たちは、上部では壁と連続的に成立しているが、下部に向かうにしたがって自律し、完全な連続性でも不連続性でもない、半自律的なものとして存在し、またコーナーからの対角線を軸としてシンメトリーを構成する。建築でシンメトリーは、専ら権力の表象として理解されてきたが、ここではシンメトリーの自己参照性によって生まれる他者性に注目する。対称的に生え出た穴たちは、自律し完全なる他者である一方、穴の魅惑を通してかろうじて我々と関係性を結ぶ。ふち取るステンレスが我々の姿や周囲の環境が映し込むことで、穴たちの魅惑を強化する。
蛍光ピンクのフェイクファーと、メッキシルバーに塗られた人工砂利が穴を覆う。毛皮、砂利という自然物を模した人工素材に潜在するけったいさは、人工的なカラーによって際立たされ、穴たちのけったいさを強化する。

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